2025/12/20 10:45
2025年も残りわずかとなりました。皆さんにとって今年はどんな年でしたか?
良い1年だったか?悪い1年だったか?ってそもそも誰が決めるの??
そもそも「良い1年だったか、悪い1年だったか」の判断は誰がするのか?自分ですよね。他の人が判定を下すものではなく、自分自身の気持ち・考えで良くも悪くもなるものです。たとえ何か大きな問題が起こって大変だった年だとしても、「でもそのおかげで、家族の絆が強まったよね」とか、「そのおかげで、人の言うことを鵜呑みにしてはダメだと思えるようになったよね」とか…。そしてそう考えると良い1年とまではいかず大変ではあったけど、勉強になった1年だったかな、と考えることができると思います。
このように物事は自分のとらえ方、考え方で悪いストレスを良いストレスへと変化されることができるようになります。
自分はどうしても悲観的だし、何でも最悪な事態を考えてしまう傾向があるんだよな…という人、いると思います。でもそれは、それはあなたの考え方だけの問題だけではないかもしれません。
脳には、セロトニンという神経伝達物質があります。このセロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれていて、良いなぁ~うれしいなぁ~と、思うかを左右するのがセロトニンです。そしてこのセロトニンの働きを調整するのがセロトニントランスポーターというたんぱく質です。このセロトニントランスポーターですが、遺伝子的にいくつかのタイプがあるといわれています。LL型、SS型、そして中間のSL型。
面白いことにこのセルトニントランスポーターのタイプによって、楽観的か悲観的かがある程度決められているそうです。
LL型を持っている人はセロトニンの働きを強めることができるタイプなので、楽観的な思考が働きやすいです。不安や緊張を感じにくいので、大勢の前でも上がらず話しをすることができたり、何か問題が起こったとしても「大丈夫、何とかなる」と捉えることができます。
SS型を持っている人はセロトニンの働きが弱いタイプなので、悲観的な思考が働きやすい傾向にあります。そのため、不公平感を感じやすく「自分だけ損していない?」と感じてしまったり、何かあった時には「もうだめかもしれない」と考える傾向があります。
そして日本人はSS型を持っている人の方がLL型の人より多いという研究結果もでています。逆にアメリカ人はLL型が多いというのも、何となくうなずけませんか?
セロトニントランスポーターがSS型でも楽観的になれる?
先に述べたように、日本人はこのセロトニントランスポーターのタイプがSS型が多いので、悲観的に考えてしまう傾向があります。しかし、これは何も悪いことばかりではありません。リスクを回避する能力が高いという意味では、良い側面もあるからです。そして、そもそもこの型だけが、その人の性格傾向を決定しているものでもないのです。
やはり考え方には育ってきた環境や、置かれている状況によって左右されることも多いです。セロトニントランスポーターはあくまでも遺伝子の一つというだけの話し。考え方や捉え方は、遺伝子だけで作れるものではありませんので、自分が悲観的でそれを直したいと思えば、楽観的思考に直していくことは十分にできます。
常日頃、自分が何でも悲観的に考えてしまうのであれば、それを楽観的に考える訓練は必要ですが、それをしていけば、修正することは出来るようになります。しかし、今まで楽観的に捉えることができないのを、いきなりやれと言われても難しいかもしれません。そんな時には、いろいろな考え方や捉え方があるということを知るようにしていけば良いと思います。一つにとらわれずに、AもBもCもイロイロな考えがあるんだとわかるようになるのが大切です。
悩んだらカズレーザーかアンミカに聞け?!
最近TVで見ない日はないほど人気になってきているカズレーザーさんやアンミカさんをご存じでしょうか?このお二人はテレビで拝見している限りではとてもポジティブでしすよね。お二人とももしかしたら究極のLL型なのかもしれませんが、そのお二人が出ている番組番組を見ていると、やっぱり「なるほどねぇ~、そういう考え方っていうのもあるか」とうなずく事が私はよくあります。
「人間どうせ幸せになるのよ。なんでそんなにバッドエンドにしたがるの?
理由を見つけて自分が不幸だと思おうとしているだけで、思わなきゃずっと幸せだからね。
幸せの前提があるから不幸を見つけることができるんであって、見つけなきゃいい。
目をそらす努力!」
どうでしょうか?確かに意外と人間は「自分が不幸である」というネタをわざわざ見つけてしまうことがあるかもしれないですよね。
それの代表的なのがSNSかもしれません。SNSでキラキラ✨投稿を見ると「それと比べて自分は…」と悲観的になったり落ち込んだりすることがあるかもしれませんよね。そんな時こそ「目をそらす努力」も時には必要だと私も思います。
